"熟練"が新しい人間関係をつくる
Chie Ayado
綾戸 智恵
ジャズシンガー
1957年大阪府生まれ。3歳でクラシック・ピアノをはじめ、ナイト・クラブでピアノを弾くようになる。17歳で単身渡米し1991年に帰国。1998年にアルバム「For All We Know」をリリースして40歳でCDデビュー。2003年に紅白歌合戦に出場し「テネシー・ワルツ」を熱唱し話題となる。2023年には俳優として映画「ロストケア」にも出演。笑いあり涙ありのトークを交え、ジャズを中心に幅広いレパートリーを取り入れたステージは多くのファンを魅了し続けている。近年SNSでも音楽やトークを配信中。2024年9月28日浜離宮朝日ホール、10月5日神戸朝日ホールにてライブ開催。
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小さな体からパワーがみなぎるハスキーで力強い歌声、大阪弁全開のトーク 生き方そのものが私たちを魅了します。
かっこ良く年を重ねるジャズシンガー綾戸智恵さんにグランクレール綱島にて伺いました。
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子どもの頃と変わらぬ好奇心のまま大人になった
「いろいろな事にチャレンジして凄いですね」と言われますが、幼い頃から「なんで?」「なんで?」と聞いていた子どもが、そのまま大きくなっただけなんです。神様でもない限り、そんなに簡単に理解することはできないじゃないですか。何でも聞いて、「そんな意見もあるんや」「そんな人がおるんや」と受け入れるんです。理解してちゃんとやろうとか、賢く見られたいとか思わないから、心が赴くままに何でもやってしまう。初めて食べたものがあれば「これなんやの?」と素直に聞くでしょ。それと同じ。どうしてそうなるかを知りたくなるのは、人間の本質。煩悩がなくなったらおしまいですよ。
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「奉仕」の気持ちが人を頑張らせる
料理の写真をSNSにアップしたりしていますが、私一人だと何も気にしません。鍋に入ったままでも食べられます(笑)。家族や友だちに美味しく食べてもらいたいと思う気持ちが、ちょっと頑張ろうと背中を押してくれるんです。
能書きを垂れるのは好きではないですが、人間は「奉仕」をしたいとどこかで思っているんじゃないでしょうか。そうじゃないと、多様な人が集まる社会で共存なんてできないと思いますが。
それから、人と比べる必要はないですよね。「あんなにできない」とか「私ならもっとできる」とか。それぞれの家庭が違うんですから、他人にはなれません。自分でいいと思うんです。 -
今だから話せますが、イライラして噛みついていた頃もありました
なんだか偉そうなことを言っていますが、良いことばかりしてきたわけではありません。反省することがたくさんあります。とにかく「うるさいオバハンやったから」(笑)。40歳でデビューして、業界のことなんて何一つ知らぬまま、テレビに出演したり、各地でライブをしたり。明日は九州、その次はどこかと、どんどん仕事の予定が入り大忙しです。本当にありがたいことですが、「行きたない、親にご飯を作りたいから3日以上家を離れたくない」とスタッフにお願いしていました。デビュー前後で生活が急激に変わり、その変化に戸惑い、思い通りにならず噛みついていたんです。その頃のスタッフは大変だったのではないかな。
今はすっかり丸くなりましたよ!
スタッフが言うことを「はい、やります」と聞いていますから(笑)。思ったことをすぐに口に出さずに、ちゃんと考えてから話しますし、もし私が間違っていたら素直に謝ります。人は若さゆえに、非情な振る舞いをしてしまうことがあるんです。誰にでも思い当たる節があるのではないでしょうか。今だから「ごめんね」と言えるようになりました。 -
失敗して後悔して、
真理が見えてくるたくさん失敗して、後悔して、「苦い水」を飲んできました。赤っ恥をかいたり、心臓が口から飛び出るほど驚いたり、腰を抜かすようなことがありました。だから甘さがわかるのかもしれませんね。いろいろな経験があったから、私の歌を聞いて「いいな」と心に響くものを感じてくれるのかもしれません。表面だけの付き合いはしたくないので、「隠してもしゃあない」とオープンにしています。失敗する時もありますが「それでいいんちゃいますか」。
生きていたら、キツイ事を言われたり叩かれることがありますよ。不思議なもので、褒められたらその時は嬉しいですが、人生の糧になっているのは厳しいことなんです。こんなことがありました。子どもの頃、コーラスをしていた時に先生から「あんた、声が汚いからソプラノで歌わないで。教室の外に出ていって」と言われたんです。信じられないでしょ(笑)。母親に話すと「そうやな、青江三奈さんの歌を歌ったらいいかもしれんな」と。母親は私が何で悩んでいるかがわかるから、ガラガラ声をハスキーだと上手に導いてくれました。反対に、褒められている時は、「気いつけや」と有頂天にならないように諭してくれました。
17才で渡米した時、後に世間からは自立していると言われましたが、全然です。当時、何かあった時に迎えてくれる親がいたから、飛び出すことができた。親がいてくれたから、安心して伸び伸びとできたんです。ありがたいことです。
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母親を腕の中で
看取ることができた。デビューから10年が経ったころ、母親が認知症になり、音楽活動をしながら介護をするようになりました。2021年、母親を自宅で看取りました。そろそろお迎えがくると感じていたので、母の大好きなモルトウイスキーを口に含ませたんです。ゆっくり三口ほど飲んで、最後の一口が入りません。静かに息を引き取りました。人は、生まれて死ぬことがワンセットです。卒業式や成人式がありますが、本当のセレモニーは誕生の時とこの世を去る時。母親が生まれた時は知らないので、死ぬ時は送りたいと思っていたら私の腕の中で旅立ってくれた。こんなシーンまでセッティングしてくれた母親に逆に「おおきに」です。
母親がこの世を去ってから、私は、わんわんと泣いたことはありません。喪主として満足がいく葬式をすることができました。母親がどう思ったか知る由もないですが「よう育ててくれた」と送り出す日が葬式だと思います。どれほどの感謝の心をもってしても、母親に感謝し尽くすことはできませんから。そうそう、火葬場でもサービス精神旺盛に対応してしまい、息子に怒られてしまいました。職業病ですかね(笑)。
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若い人が寄ってくる、
それが「年寄り」還暦はとっくの昔に過ぎました。人生あっという間ですね。若い方から「どうぞっ」と椅子を譲ってもらうようになりました。「おおきに!」とありがたく座ります。今思うと、若い頃は、先輩から音楽のことを学びたくて、私が先輩に椅子を差し出していたものです。最近、年寄りとは、「若い人が寄ってくる」ことだと思います。ジャズシンガーを目指す若手の方から、質問をされることが増えてきました。値打ちを感じてくれるからでしょうか、席をどうぞと譲ってもらえるんです。若い世代が話を聞きたいと思うような価値をつけないと!
「生涯現役」と頑張るのは悪いことではないですが、足や腰が痛くなり、昨年よりも動けなくなっていくのが現実です。それを受け入れて、今をどう過ごすかが大事なのではないでしょうか。「何か聞きたいときは、今のうちやで」と伝えて、幕を引く準備をしていくのが年寄りではないでしょうか。 -
「今」の状態でベストに生きる
来るものを拒まず生きてきたので、人生の目標とか持ったことはないですね。こういうアルバムを作りたいとか、こういうことをしてみたいという小さな夢はあります。K-POPが好きだから、いつか曲を提供したいと考えるとわくわくします。
「自分に才能がある」と言った覚えはありません。「三度の飯より音楽が好き」「音楽の天才」とありがたい評価をいただいた時もありましたが、実は寝ていることが好きだったりします。褒められ過ぎるとしんどくなります。スタッフは、そんな私のことをよく理解しているので、アーティストというより普通のオバハンとして接してくれます。この先、何があるかわからない。結婚だってあり得ます(笑)。軽やかに「今」を楽しみたいですね。 -
人生の機微を解する人たちが
集まる場所グランクレールのようなシニア住宅に入居される方は、今まで一生懸命に頑張ったからゆっくりしようという方や、ここを拠点にまだまだ働きたいという方や、それぞれの考えがあって当然です。同じ人ばかりではないのが世間です。ここで新しいコミュニティができる。そこで切磋琢磨するのは美しい生き様じゃないですか。さまざまな背景を持った方が集まり、新しい人材の集合体として社会に貢献できる可能性を秘めています。「まいど!」と明るくいきましょう。